二次創作とRPGシステムの変遷―2

2、RPGにおける「ルール」の位置づけ
 例えばRPG『D&D』をやるとして、そのパッケージ化されたコンテンツを何と呼ぶのだろうか。現在では「システム」と呼ばれることが多いと思う思われるが、かつては、そして今でもそうであるかもしれないが、それは「ルール」と呼ばれていた。筆者はこの言葉に非常な違和感を感じていた。
 そもそもRPGは他のゲームとは異なりルールという枠のなかで競技するというものではない。にもかかわらず「ルール」という言葉で「それ」は言い表されてきた。
 RPGの成立および上陸当初は概念自体が存在しないのだから仕方のない話ではあるが、その「ルール」という言葉だけが一人歩きしてしまい、プレイを縛るものとして機能していたこともある。古い方なら「ルールに従ってやろうぜ」とマスターに食ってかかるプレイヤーを見たことがおありだろう。
 しかし、RPGというゲームにとっての核心部分は「ルール」には記述されていなかった。RPGに於いて「ルール」は指針、あるいは提案といったものにすぎない。『D&D』の領地経営ルールなどはその典型であった。実際にプレイするにはマスターが埋めるべき「余白」が多すぎた。またRPGの「ルール」は「ルール」からの逸脱を許容し、積極的に勧めさえしている。それはルールという枠のなかで行われる競技とは極めて異質なものである。
 角川歴彦氏はこのRPGの「ルール」を「プラットホーム」と呼んでいる。RPGというゲームは『D&D』なり『ソード・ワールド』なり『アリアン・ロッド』なり『フォーリナー』なりのパッケージ化された「プラットホーム」を土台にして、マスターやプレイヤーの「コミュニケーション」が乗って成立している。いわばRPGというゲームは、プラットホームを元にした二次創作であるというのが氏の見解だろう。筆者はこの考えに強く心を撃たれた。
 RPGはよく悪意に弱いゲームだと言われる。それはペナルティなり排除の機能が存在しないからであるが、なぜRPGにはその機能が存在しないのだろうか。この一点からもRPGのシステムは「ルール」ではありえない。そもそも人間間ののコミュニケーションを誘発するための「プラットホーム」なのだから円滑なコミュニケーションを拒否する者の存在など想定の範囲外なのである。
 また、当初RPGの核心部分は「ルール」の外側にあった。RPGの核心部分は「ルール」のなかではなく、マスターやプレイヤーのテクニックとして扱われていたのである。そしてその後、そのテクニックをいかに「ルール」の内部に取り込んでいくかが模索された。そのための手法、アプローチの違いによってRPGのシステムの分類が可能であると筆者は考える。
 以下、RPGのシステムが、いかにプラットホームとしての機能を高め、いかに当初システムの外側に存在していたものに対応していったかの歴史をたどってみたい。